映画日記blog

見た映画その他についての日記です

「キャンドルスティック」

 

「キャンドルスティック」
「経済は画にしにくい」とは荻昌弘の言だが、これがFXだ仮想通貨だとますます抽象化・計数化するようになるとおよそ画にならない。
あれよあれよという感じで目の前で何が起きているのか、描かれているのかわからないまま通り過ぎていく感はぬぐえない。
 
 
 
 
 

 

 

「雨にぬれた舗道」

「雨にぬれた舗道」
オープニングの雨の中を歩く色を抑えて燻ったような画調が、同じロバート・アルトマン監督、ヴィルモス・ジグモンド(スィグモンド)撮影の「ギャンブラー」を思わせ、ただし撮影監督はラズロ・コヴァックス。同じハンガリーの同じ映画学校の出身でハンガリー動乱を撮影して西側に亡命し、ローバジェットならぬノーバジェット映画から出発したのも一緒。
 
サンディ・デニスの良家のお嬢さんが雨の中を佇んでいた青年マイケル・バーンズを哀れに思ったのか屋敷に連れてきて親切にする。下心がないのが不思議みたいなものだが、育ちがいいからというだけではないその不思議さがずうっと続く。
 
「三人の女」や「イメージス」と同様、画面の肌触りそのものがニューロティックで
ヒロインは鏡に写った自分を見ているみたい。
 
 
 

 

 

「映画 おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」

 

「映画 おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」
LGBTQ絡みのモチーフだが、主人公の原田泰造は日本のおっさんらしくかなり頭が古かったらしいのがドラマ版の回想らしいシーンで匂わされているが映画版ではすでにかなりアップデートしている。
その他、女子が頭から野球部のマネージャーを要求されるのでなく選手として活躍できる可能性を示唆したり、意に染まない仕事や媚びた真似をしないなど、さまざまな可能性が描かれる。原田の元部下で今はクライアントの曽田陵介がいちばんある意味ではこだわっているかもしれない。
 
ふざけたタイトルだが案外とポリティカル・コネクトネス(揶揄しないように)をかなり基本的なところからなぞり直している。ポリコレと揶揄されることも多いが重心を低くしてみればやはり大事。
 
 
 

 

 

「ジョーズ」50周年 スピルバーグが語る伝説の裏側 

ジョーズ」50周年 スピルバーグが語る伝説の裏側 

今回「ジョーズ」を見直して、素人の使い方が上手いなあと思った。子供の使い方が上手いのとも関係していると思う。

ジョーズ」公開から50年経った今でも最前線を休みなく走っている映画人、スピルバーグの若い時と今が交互に出てくるのが特殊メイクみたいに時の流れを忘れさせる。

 

ロバート・ショーの息子のイアン・ショーがインタビューで顔を出した。

 

戦艦インディアナポリスが日本の潜水艦の魚雷で撃沈され海に投げ出された1000人以上の乗組員がサメに襲われた史実はハワード・サックラーが元海軍軍人だったことで知っていて取り入れたのを、ジョン・ミリアスが書き直したら8ページものセリフになってしまい、ロバート・ショーがさらに手直した。

 

最初にサメに襲われるスーザン・バックリニー(女優でスタントマン)はハーネスをつけて引っ張っられただそう。

 

カストロの感想「資本主義崩壊のメタファー」を宣伝に使おうなんてなんのこっちゃ。

 

撮影が遅れに遅れ予算が膨れ上がって。水ものというか海を相手にするとコントロールがきかないからどうしてもそうなる。

かといってCG使うとどうしても安直に見える。

 

 
 
 

 

 
 

「この夏の星を見る」

「この夏の星を見る」
東京都渋谷区、茨城県土浦市長崎県五島市それぞれの高校がコロナ禍にみまわれる中天体観測の競争をリモートで行うことになる。
生徒全員マスクをしているのであまり顔の見分けがつかず、ムリにドラマ的に結び付けていないので、それぞれの学生が星座を形づくる星のように配置されることになる。
 
空の明るさが地方によってかなり違う。
空をずうっと見ていたら思いがけず東京を中心とした関東地方の夜の明るく灯りがともっている図が現れるのが、ちょっと「インターステラー」の天地がメビウスの輪のようにねじれてくっついたような感じを思わせた。
 
製作委員会方式で作られているのだけれど、それが東映東映アニメーションの親子二社だけ。
 
 
 
 

 

 
 

「砂時計サナトリウム」

「砂時計サナトリウム
ヴォイチェフ・イエジー・ハス監督脚本による実写映画化というのが1973年にあって、前に見たことあるのだが、その記憶の中の画面のテクスチャーとこの人形アニメ版のそれが意外なくらい近かった。どこがと説明するのは難しいのだが。
 
原作は未読だけれどサナトリウムという病んでいるとともにモラトリアム期間でもある機関の設定が効いていると思う。
 
併映のクリストファー・ノーランによる2014年だったかのクエイ兄弟のフィルム撮りの(あくまでこだわるね)ドキュメンタリーで、人形の目を湿らせて光らせるのに水ではなくオリーブオイルを使うというのが面白かった。エクストラバージンオイルとわざわざ断るのがまた面白かった。
 
 
 

 

 

「エレクトラ わが愛」

エレクトラ わが愛
極端に様式的なページェント(野外劇)のスタイルをとっていて、平原に配置された人の群れに馬の隊列、超ロングテイクとゆるやかな移動とズームの併用、色彩と光線にレンズの選択、ロケに持ち込まれたロウソクや薄絹、短剣にサーベルといった小道具の揃い具合がクレイジーなくらい様式化を精錬させている。
 
エレクトラが不在の弟のオレステスを待っている場面がかなり長い。
ふたりの実父を殺した義父のアイギストスが暴君として君臨しているのだが、父子だから大目に見ているのかなかなか殺さない。
ハムレットが実父を殺した叔父にさっさと復讐すればよさそうなものをじりじりさせるのを思わせるのだが、それはむしろ逆で親族の中で殺し合うとなると面倒になるのは目に見えているからか。
 
あれ、クリュタイムネストラ出てきたっけ、と思った。エレクトラの母親ですね。
夫のアガメムノンに実の娘のイフゲニアをトロイ戦争の生贄にされた恨みから情夫のアイギストスと共謀して殺し、娘のエレクトラと息子のオレステスという実の子供に復讐されるというまあドロドロした話なのだが、あまり?出番がなかったような。
クリュタイムネストラの遺恨がエレクトラに乗り移ったと解するべきか。
 
撮影はすべてアフレコで行われたとのこと。